はじめての お葬式  |  davinci

いるの、と打ち明けた。お母さんは噛んでいたご飯をふきだした。
 ……あんたももうそんな年か。
 テーブルを布巾で拭きながら、お母さんはしみじみと言った。
 月日が流れるのって早いもんね。そりゃあたしも年取るわけだわ。
 ご飯を食べ終わったあと、お母さんは私を柱の前に立たせ、久しぶりに背を測り、柱に印を刻んだ。前に測ったときよりもだいぶ背が伸びていた。もう150センチくらいあるかもしれない。
 どんな子なの、とお母さんが聞くので、野球部の村崎という男子で背丈は私よりも少し大きくて得意科目は体育と理科で血液型はB型で好きな給食は揚げパンとカレーうどんだと答えると、お母さんはまた笑った。
 若いって良いねえ。
 そうかな。

 

 お父さん生きてたら泣いちゃうかもね。
 どうして。
 色々と複雑なの、男の人は。
 私はその晩、仏壇でいつもよりも長くお父さんの遺影を眺めた。

 夜の九時ごろになって、さすがにこれは警察に補導されてしまうかもしれない、と思い、記憶をたどって式場に戻った。さっきまで気付かなかったけれど、道路の脇にはまだ溶け切らない灰色の雪が小山を作っていた。
 式場の扉の外では、思っていた以上に大騒ぎになっていた。補導はされなかったものの、その場には警察がいた。私が姿を現したら、警察と喋っていた先生がつかつかと寄ってきて、横っ面をひっぱたかれた。
「迷惑をかけるんじゃない! おまえは東京の怖さを判ってない! ここは長岡じゃないんだぞ!」

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お葬式

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 何もかもおっしゃるとおりで、私は頬を押さえたまま、ごめんなさい、と謝った。良かった、と言って猿山が抱きついてくる。
 先生は葬儀屋の人と警察にぺこぺこと謝っていた。猿山がドアの外にいた先生に呼ばれ、私は一人ベンチに取り残される。
 扉の中の、村崎の遺影をぼんやりと見つめていたら、焼香のときに目があった合った葬儀屋の女の人が、温かい缶のコーンポタージュを持ってきてくれた。
「寒かったでしょ、外」
 そう言って、その人は私の隣に腰を下ろした。胸に付いている名札には「笹島」とある。私はありがとうございます、と言って缶を受け取り、プルトップを開けた。
「新潟の雪深いところから来たので、寒くはなかったです」
「寒くはないけど、辛かった?」

「……はい」
 笹島さんはポケットから煙草を取り出し、一本咥えた。私がその様子を見ていると、非難がましい視線だと勘違いしたのか、「私勤務時間外なんだよね。あなたのせいで残業だよ」と言って火をつけた。
「お母さんも吸ってるので、別にそんな」
 私が言うと、笹島さんは笑った。そして、まだ棺桶の蓋閉じてないから、見てくると良いよ、と言って会場の奥を指し示した。私は言われるままに立ち上がり、会場の中に入る。もう誰もいなくて、焼香の匂いと煙だけが薄暗い部屋に漂っていた。
 台に上り、私は棺桶の中を覗き込んだ。
 ゼリーみたいな質感の皮膚にまず驚いた。白い着物を着て、三角布を頭に付けられたその身体と顔は確実に村崎のものなのに、そこに村崎はいなかった。はてしなく空っぽの動かない身体だけがそこにある。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

はじめての
お葬式

 

 何をどうやって説得したのか判らないが、私は何故かその晩、笹島さんの家に泊まることになった。古いマンションの玄関先で塩を頭からかけられ、部屋に入ってから電話を借りてお母さんに電話した。最初はいぶかしんでいたお母さんは、笹島さんに電話を変わってから数分後、渋々と泊まることを了承してくれた。
 お布団とパジャマを借りて、私は布団にもぐりこんだが全然眠れなかった。笹島さんは夜食らしく、隣の部屋でカップラーメンを啜っている。私も急にお腹がすいて、起き出していったら同じものにお湯を入れてくれた。
 向かい合ってラーメンを啜りながら、私はどうしてここにいるんでしょうね、と尋ねたら、だって帰りたくなかったでしょ、と言われた。
「あのさっき会場にいた眼鏡の男ね、仏さんと話ができるのよ」
 唐突に笹島さんはそんなことを言った。仏さん、というのが死体のことだと判るまでに数秒を要した。

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 野球は俺のタマシイだ。球だけにな。
 いつかの彼の言葉を思い出す。野球をしていない村崎にはタマシイがないってことなのか。私は手を伸ばし、村崎の顔に触れようとした。指先が触れた途端、あまりの冷たさに手を引っ込める。
「帰るぞ、鳥居」
 警察との話が終わったらしく、先生が私の名を呼んだ。私は答えなかった。厳密に言えば、答えられなかった。私までが死んだようにそこから動けない。
「鳥居?」
 猿山と竹山も声をそろえて私を呼ぶ。私がどうにも動けないでいると、笹島さんとは違う、眼鏡をかけた若い男の葬儀屋の人がそばにやってきて、大丈夫? と肩を叩いてくれた。弾かれたように身体が動いた。男の人は驚いた顔をして、私の腕を掴む。そして「笹島さん」と、さっきの女の人の名を呼んだ。二人は何やら相談したあと、先生に何か話をしに行った。

「でも好きだったんでしょ?」
 私は無言で頷いた。
 村崎とどうこうなりたいとか、そういう気持ちはなかった。正直この気持ちが恋なのかどうかも判らなかった。土手で村崎と喋れると嬉しいし、練習中に村崎が白い小さなボールを追っかけてる姿を見られると幸せな気分になれたけど、それが、同級生たちの「○○君が好きなの」という気持ちと同類なのかは判らなかった。笹島さんにそう伝えると、それは恋です、ときっぱりと言われてしまった。
 それから少しお話をして、夜の二時ごろに布団に入ってから、なんだかすぐに起こされた気がする。時計を見ると朝の五時だった。既に黒いスーツに着替えていた笹島さんは、寝ぼけたままの私に言った。
「木崎が、あ、あの昨日の眼鏡が事故現場に行こうって言ってるけど、行ける?」
 私は戸惑った。
「どうしてですか?」

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「……え?」
「私も最初聞いたときはビックリしたよ。全部聞いてたら身が持たないから普段は無視するらしいんだけど、あなたさっき棺桶のそばで金縛りにあってたでしょ。あれ、村崎君が引き止めてたらしいよ。このまま帰らせたらきっとあなた事故に遭うから、成仏させてから帰したほうが良いって言われてさ」
「えー、嘘だー」
「嘘っぽいよねー。信じなくても良いよ。私もあんまり信じてないし。でもあなたの担任は信じてたよ」
「マジで!」
 実際には警察と笹島さんの会社がわりと親密らしく(即死の交通事故とかがあると笹島さんの会社で遺体を引き取ることが多いらしい)、信用できるという理由で私に宿泊を許したのだという。笹島さんはカップラーメンのスープまで全て飲み干し、私に「彼女だったの?」と尋ねた。
「違います」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「木崎も野球少年だったらしくて、村崎君に感情移入してるみたい。専門用語では村崎君は地縛霊になるらしいよ」
 朦朧としていた上に、理由が非現実的過ぎて納得いかなかったけれど、私はとりあえず頷いて制服に着替えた。洗面所を借りて髪を梳かし、二つに結わえる。
 マンションの下に、黒いクラウンが止まっていた。白い息を吐きながら笹島さんは助手席に乗り込み、私はバックシートに乗る。車の中は暖かかった。運転席にいた眼鏡の男の人が身体を半回転させ、木崎です、と言って私に名刺をくれた。
 走り出した車の窓の外はまだ暗かった。けれど、もうランニングをしている人がいる。そういえば野球部の朝練もバカみたいに早い時間から行われていた。吹奏楽部はコンクールの前だけ七時からだけれど、野球部は毎日七時からだった。雪が降ってしまうと練習できないから、という理由にしても、疲れ果てた部員たちが授業中寝ていたら本末転倒だと思う。

 車は十五分くらい走ってから、車通りの少ない小さな交差点の近くでハザードを点けて止まった。車から降りると、まだ薄暗い道の脇には、たくさんの花が供えてあった。きっと同級生の誰かだろうが、野球のバットとボールも置いてあった。東京に引っ越してからも、野球、してたのか。私は嬉しいのと寂しいのとが入り混じった複雑な気持ちになる。そりゃタマシイなのだからつづけていて当然だけど、きっとあの姿を見ていたら、誰もが村崎を好きになる。そして東京では雪が降らないせいで、一年中校庭で練習できるから、彼がボールを追っかける姿を私よりたくさん見ていた人がいたのだと思うと、苦しくなった。
「村崎君、来たよ」
 木崎さんがその花の置いてあるあたりに向かって言った。まるでそこに村崎がいるようにして。
「……ほんとに死んだ人と喋れるの?」
 私は半信半疑で尋ねた。木崎さんは笑いながら、うーん、と困った顔をする。

 

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お葬式

「喋れるっていうよりも、俺の言いたいことはだいたい伝わらない。でもあなたの言うことなら伝わるかもよ。何か言いたいことがあったら、言ってごらん」
 そう言って、木崎さんは壁のほうを促した。私には何も見えない。そして何も聞こえない。遠くのほうで車が走ってる音だけが聞こえる。私はしばらく口を開けなかった。壁に向かって喋る自分の姿を第三者が見たらひどく滑稽だろうと思った。その気持ちを汲んだかのように、他の二人は、寒い、と背中を丸めながら車の中に入ってゆく。
 村崎、と心の中で呼びかける。そのあと、口を動かし、むらさき、と発音してみた。村崎は答えない。
「私ね、今年部長になるの」
 私は何を言えば良いのか判らず、近況報告をした。
「女子の部長って、十年ぶりくらいなんだって」
 そのあとまたしばらく口を閉じる。
 あの河原で、私たちはこうしてしばしば沈黙していた。沈む夕日と鳩を眺めていれば飽きなかった。

 二年になってから、先生は高校進学のことを考えて勉強をするようにと言うようになった。私は高校になっても吹奏楽をつづけたいと思っていたので、三者面談では吹奏楽の大会に出ているような高校に行きたい、と言ったら先生に、おまえは運動部の男子か、と溜息をつかれたのを憶えている。
 きっと村崎も、野球の強い高校に行きたいと言ったのだろうな、と思った。そして実際、河原の沈黙のあと、村崎は県内で一番野球の強い高校の名前を出して、そこに行きたいんだよね、推薦で、と言ったのだった。私の進路はそのとき変わった。同じところに私も行きたいと思った。野球の強い高校で、私は村崎のために勝利のラッパを吹きたかった。そして鳩を飛ばしてあげたかった。
 永遠に叶わぬ夢になってしまった村崎の進路。
「……まさかこんな状況になるとは思わなくて、今日はトランペットがないんだ」
 私は再び口を開き、壁に向かって言った。

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

奇跡は起きなかった。ただそこには花の供えられた壁があるだけだった。けれど、ふとその瞬間に、ちぎった草の匂いが鼻を掠めた。それが何の匂いなのか、私はとてもよく知っている。笑いと涙が同時に込み上げてきた。
 ……真冬なのに、汗くさいなんて。

 結局葬式の出棺まで見て、昼過ぎに木崎さんの車で東京駅まで送ってもらった。
「村崎は成仏できたんですか?」
 別れ際に私が尋ねると、たぶんねと木崎さんは答えた。
「少なくとも、あなたから愛の告白をしてもらえて、満足はしたんだと思う」
「え、ちょっと聞いてたの? 車の窓開けてたの?」
「こんな寒い日に窓なんか開けないよ。だから俺は先方とは喋れないけど先方の恨み言は聞こえちゃうの。笹島さんと、あとうちの若い子しか知らないから、他の人には言わないでね」

「鳩、飛ばしてあげられなくてごめん。でも今の時間、鳩はいない。カラスならいっぱいいる」
 もはや何を言いたいのか自分でも判らない。空を仰ぐと、東のほうが既に白々と明るくなってきていた。日が昇りきったら、村崎がここからいなくなってしまう気がして、急に心臓がばくばくと音を立て始めた。
「村崎」
 私は再び名前を呼ぶ。村崎。村崎。打つ鼓動の全てが村崎の名を呼ぶ。
「生きているうちに言いたかったんだけど、いや、言わないほうが良かったのかもしれないけど」
 もうこの世にはいない人なのに、私は本人を目の前にしているような気がして頬が熱くなった。
「私、村崎のことが好きだった。今でも好き。同じ高校、行きたかった」
 死んだ人を前にして不謹慎かもしれないが、死んでしまうかと思うほどの緊張と共に吐き出した言葉のあとも、

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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 初めての失恋にふさわしい素晴らしい葬式だったと思う、と言ったら、お母さんは一瞬戸惑ったのちに盛大に笑った。一つ一つの失恋に儀式があったとしたら、その儀式をする業者は儲かるわね、と。
 次の日は晴れたので、私は村崎が引っ越してしまってからサボりがちになっていた河原練習に久しぶりに出向いた。ものすごい雪深かったけれど、スノーブーツを履いて、ざくざくと真っ白い河原に下りていった。氷のように冷たいマウスピースに唇を付け、チューニングを済ます。お母さんの言うような「ちゃんとしたお別れ」をするために、うろ覚えのショパンの「別れの曲」の主旋律を吹いてみた。ピアノ曲なので音域が広すぎる。すぐに挫折した。
「山田君、座布団全部持ってっちゃって」
 うしろから声が聞こえた気がした。私は振り返る。誰もいない。
 ……よりにもよって山田君かよ。

 私はまだ半信半疑だったけれど、頷き、改札のところで木崎さんと別れた。
 数時間後、長岡は雪だった。心配したお母さんが仕事を休んで駅まで迎えに来てくれていた。
「売られちゃうんじゃないかと思って眠れなかったわよ。東京はおっかないんだから、もうこんなことしないでよ。心配させないでよ」
 スタッドレスを履いた古い軽自動車の助手席に乗り込み、私はごめんなさいと素直に謝った。雪の中、車は走り出す。
「ちゃんとお別れできた?」
「うん」
 私の心の中ではまだ全然お別れできてないんだけれど、気持ちは伝えられた。
「すごく良いお葬式だった」
「そりゃ良かった。……お葬式に良し悪しがあるのかね、結婚式では聞くけど」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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