最終電車  |  AoyamaKazuki

 

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青山 一樹

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青山 一樹

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に眠くなるという特技の持ち主で、今日も十八番の一曲だけ唄った後はひたすら飲む方に専念し、三佳と琴美が交代で二時間を唄いきったときには、椅子にもたれて眠っていたのだった。
 幸宏と三佳は九月の始めに結婚する。二人の休みの都合で結婚式と新婚旅行の順序が逆になるのだが、お盆の休みと有給休暇を組み合わせて、結婚式前に約二週間の新婚旅行に出る。行く先はフランスとイタリアだ。旅行会社の格安ツアーで、日本でも雑誌で頻繁に名前の登場する有名なホテルに宿泊し、あとは各人フリーで市内観光をするものだ。
 旅行代理店に勤める幸宏自身の企画で、勿論費用は超破格値である。本来は海外旅行の繁忙期になるこの時期に休みをとるなど決して許されないのだが、一生のうち一度きりであろう本人のハネムーンに、部長が許可をくれたのだった。

 JR恵比寿駅にほど近いカラオケボックスを出ると、雨に濡れたアスファルトが街の灯りを反射していた。
 そういえば、今朝の星占いで『しし座の人は、思わぬアクシデントに見舞われる』、といっていたのを思い出した。この雨のことかと納得しかけたが、すぐに思い直した。雨はしし座の人だけに降っているわけではない。
「ふん」と、苦笑いとも溜め息ともつかぬ言葉を漏らし、渡瀬幸宏はビルの隙間の夜空から落ちてくる雨粒を見上げた。
 幸宏は今日七月三十一日で三十二歳になる。婚約者の山村三佳とその友人の藤原琴美の三人で、幸宏の誕生日祝いに恵比寿駅の近くで食事をした後、お決まりのコースとも言えるカラオケボックスで、ひとしきり盛り上がって来たのだった。
 幸宏は酒を飲むのは好きな方なのだが、すぐ

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− 雨 −

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 新婚旅行にフランスとイタリアを選んだのも幸宏だった。三佳の才能をのばずためにもデザインの本場である現地で、テキスタルデザイン等さまざまなものを直に体感して、今後の三佳のデザインに活かして欲しいと願っている。
  
 幸宏と三佳が出口のところで空を見上げ立ち止まっていると、会計係の琴美が支払いを終えて階段を降りてきた。ちょっと外の様子をみると、肩にかけたバッグから傘をだした。
「さすが琴美!」
 三佳が感嘆の声をあげると、自慢げに琴美は破顔した。
 抜かりのない琴美は、いつも折り畳みの小さな傘を持っていた。どんなに天気のいい日でも、必ず持ち歩いている。幸宏は関心するのと同時に、邪魔にならないのかと思ったが、陽射しの強い時には日傘としても重宝するのだそうだ。紫外線対策などといっているが、つい最近まで海水浴に出かけては、真っ赤に腫れ上がるほど日焼けしていたのはこの二人じゃなかった

 三佳は二十七歳。中堅デザイン事務所のアシスタントを勤めて約七年、最近では三佳に任される仕事も増えてきている。三佳は花をモチーフにしたデザインが得意で、特にひまわりを使ったものには定評があり、クライアントから指名で依頼が来るものも数多い。
 デザインという下克上の激しいカタカナ商売の業界にいる三佳は、嫌というほど先例を見てきた。だから、仕事にしがみつくのだけは止そうと心に決めていた。
 若さという魔法が解けた時、人は絶望する。——こんな筈ではなかった、と。
 もし自分に才能があるのなら、それは愛する夫と子供のために役立てよう。三佳にはそれ
十分だった。
 しかし、三佳は結婚後も当分の間はそのまま仕事を続けて行くことになっている。これは幸宏が提案したものだった。せっかく開花し始めた才能を摘んでしまうのはもったいない、というのが幸宏とデザイン事務所の共通した見解だ。

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「大丈夫だよ。心配するなって」
 幸宏は酔っていないふりをして明るく答えたつもりだったが、やはり少しろれつがまわらない。
「居眠りして、終点まで行かないでよ」
「大丈夫だって」
「今日は迎えになんか行ってあげないからね」
「はい、はい」
 琴美が三佳の隣りでクスクス笑って聞いている。
 幸宏は酒を飲んで電車に乗ると、ほほ百パーセントの確率で居眠りをしてしまう。酔いと電車の揺れが相乗効果となり、何とも気持ちよくなって眠ってしまう。
 三佳は以前にも何度か、終電に乗ったまま居眠りをして終点の駅で降ろされた幸宏を車で迎えに行ったことがある。琴美もその話しは何度か聞いて知っていた。
「じゃあね。ほんとに眠らないでよ」
「はいよ」
 最後の念を押すと、三佳と琴美はホームへの

か、と幸宏は心の中で呟いた。
 駅までの道すがら、三佳と琴美はその傘に入っていたのでほとんど濡れなかったのだが、幸宏はひとりだけ雨に打たれるはめになってしまった。駅ビルのコンコースまで辿り着くと、蒸し暑い空気と雨に濡れたYシャツが、肌にまとわり付いて気持ち悪い。
「ほんとうに、大丈夫なの?」
 三佳は山の手線の改札の前で、二人を見送ろうとしている幸宏に聞いた。
 これから三佳は、目黒駅から歩いて五分ほどのところにある琴美のマンションへ泊まりに行く。きっと明け方近くまで、女どうしで語り明かすのだろう。明日土曜日はふたりとも会社が休みなので、昼頃まで寝ていても問題はない。そのあと、ランチも兼ねて表参道あたりにでも買い物に行くのであろう。
 雨に濡れているせいか、それとも酒に酔っているせいなのか、まだまだ若い部類に入る幸宏の風貌は、まるで疲れ果てた中年サラリーマンのようになっていた。

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非常に億劫な作業だ。濡れたYシャツが車内の冷房で冷やされて、酔いのために火照った身体に心地良かったが、すぐに中目黒駅に着き、その快楽も二分ほどで終わってしまった。
 中目黒の駅で電車を降りた幸宏は、またホームのベンチに座った。ここで渋谷駅発の東横線に乗り換えなければならない。
 三佳からプレゼントされたばかりの真新しい腕時計を見ると、もう少しで午前0時になるところだった。
 会社の忘年会の景品でもらった、オモチャのようなデジタル表示の腕時計をしていた幸宏を見兼ねて、三佳が誕生日プレゼントにくれたものだ。黒の革ベルトで、時計本体はステンレスらしいが、濃紺の文字盤に書かれている数字が、少しレトロな雰囲気のする落ち着いたものだ。
 一緒にいた琴美の話しによると、かなり高価なスイス製のものらしい。時計に関する知識を持たない幸宏にはさっぱり分からないのだが、まったく違和感なく、幸宏の持つ全体的な雰囲

階段を上がっていった。幸宏は二人の後ろ姿を見送った。
 ——今日のおとめ座の運勢は何だったかな?
 おとめ座の三佳の運勢を思い出そうとしたのだが、どうしても出てこなかった。確か悪くはなかった筈だ。
 幸宏の住むマンションは自由が丘にある。恵比寿からだと地下鉄に乗り、次の中目黒で乗り換えればいい。運が良ければ直通電車で乗り換えなしで自由が丘まで行くことも出来る。
 幸宏は地下鉄への階段を降りて、中目黒方面行きのホームに立った。湿気を含んだ生暖かい空気がムッとする。電車が来るまでの間、幸宏はベンチに座って三佳たちのことを考えていた。
 ほどなくホームに電車が滑り込んで来た。中目黒駅止りの電車だった。
 幸宏は心の中で軽く舌打ちすると、冷房の効いた電車に乗り込んだ。恵比寿駅から中目黒駅までは一駅しかないので、次の中目黒駅ですぐに乗り換えなくてはならない。酔った身体には

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気の中に見事に溶け込んでいた。
 三佳の目利きには、いつも関心させられる。これ見よがしの選択は決してしない。
 週末の終電といえば、景気の良かった頃には朝のラッシュ並に混んでいたものだが、ここ数年来は景気の後退が著しいためか、皆帰りが早いので空いているようになった。
「雨か——」
 山手通りの上を跨ぐような格好になっている中目黒駅のベンチで、だらしなく両足を投げ出した格好で座っていた幸宏は、雨の中を行き交う車の流れを見下ろしながら呟いた。
 雨に濡れたシャツは、幸宏の体温でだいぶ乾いてきていた。
「そう言えば、あの日も雨だったな——」
 目を閉じると瞼の裏側に、幼かったあの日の苦い想い出が蘇ってきた。
 窓の外に奔る稲光と、落雷の音。
 萎れたひまわりの花。
 病院のベッドに横たわる幼い女の子。
 断片的な画像が、幸宏の瞼の裏側を流れては

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消えて行く。
 ふと我に還り、目を覚した。どうやら眠ってしまったらしい。
『……最終電車です。お乗り遅れのないように』
 ホームでは発車のアナウンスが流れていた。
「おっと、危ない」
 終電まではだいぶ時間があった筈なので、思った以上に長い間ホームのベンチで居眠りをしていたらしい。
 慌てて電車に乗り込んだ幸宏は、安堵のため息を洩しながら腕時計を見た。やはり時計の針は、0時ちょうどを指していた。
「あれ?」
 酔っているせいで見間違えたのかと、もう一度確認してみたが、やはり幸宏の腕時計の針は0時を指している。終電ならもう少し遅い時間の筈だ。
 新品のくせに電池でも切れているのかと思ったが、すぐに思い直した。三佳が渡してくれる時にこれは自動巻だといっていた。きっと、ゼ

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ンマイの巻き方が甘かったのだろう。
 周りを見渡してみると、この車両には幸宏ひとりしか乗っていなかった。雨の湿気で窓ガラスが曇っているので、他の車両までは確認することが出来なかった。
「すいてるな」
 何故か子供のようにはしゃいだ気分になった。まるで自分ひとりで貸し切っているみたいだ。出来れば途中の駅で、誰も乗ってきて欲しくない。
 雨に打たれている曇った窓ガラスの向こうに、大きなゴルフ練習場の照明が見えてきた。白く塗られた鉄柱と緑色のネットが明るい水銀灯に照らし出され、窓ガラス越しにそこだけ浮き上がったような幻想的な風景を創りだしていた。敷きつめられた人工芝に、ひまわり畑の風景が重なってみえた。
 また急に睡魔が襲ってきた。
 自然と瞼が落ちてくる。
 ——いけない、三佳と約束したのに。

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アーも見逃せない。まさに『観光のへそ』たる地である。
 幸宏がこの富良野に引っ越して来たのは二歳の時だった。もちろん幸宏本人にその記憶は全くない。
 父親の和幸の勤め先が大手ホテルチェーンで、三年前にこの富良野に東京から転勤してきたのだった。ホテルは空知川を挟んで富良野の中心部を望める高台にあり、その向こうには大雪山系南端の富良野岳を眺めることが出来る。都会の人工的な夜景も綺麗だが、やはり大自然の美しさには適わないと、幸宏の両親は口を揃えていっていたが、幼い幸宏にはよく分からなかった。
「そろそろお家に帰るから、オモチャを片付けてね」
 母親の智子は、美香と仲良く遊んでいる幸宏にいった。

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− はと2組 −

 夏の盛りの暑い日だった。
「ミカはね、ヒロくんのお嫁さんになるの」
 美香はいつもそういっていた。『ヒロくん』とは幸宏のことである。
 篠田美香、五歳。ひかり幼稚園のはと二組。
 北海道の地理的中心地の富良野市。人体でいうところの『へそ』にあたる、まさに北海道観光には欠かせない場所の一つだ。
 短い北海道の夏に、ラベンダーをはじめとする幾種類もの花が一斉に咲乱れ、まるで色鮮やかなパッチワークのような美瑛の丘。図腹というお腹に顔を描いて踊るユニークな『へそ』祭り。高山植物の生育する大雪山系の大自然を満喫できるキャンプ場や温泉。また冬には、良質のパウダースノーを求めてやって来る本州からのスキー客などで、旅館やホテルはいつも満室の状態だ。特にこの富良野は映画やテレビのロケ地になることも多く、そのロケ地巡りのツ