スカトロジー・フルーツ  |  gosho.tn

五所純子

 
 
 

スカトロジー・フルーツ

 
 

五所純子

 
 
 

スカトロジー・フルーツ

 

 
 

 
※web上ではヨコ組み表示ですが、
実際の紙の本ではタテ組みになります。
見開きの左右も逆になります。

目 次

スカトロジー・フルーツ

 
 
 

目 次

 
毒想日記                    8
街が眠らない恋人               28
複眼                     38
三半規管のリンパ液には機関車が沈んでいる   50
Ghost Writer Itaco/ヘアスプレー      64
Ghost Writer Itaco/マドンナ        68
『マリア・ブラウンの結婚』          72
台所とお化けたち               76
一人称の圧倒                 90
社会化見学/屎尿処理場           118
社会化見学/食肉市場            124
ホルモンから考えない            130
戦後祖父のロング・ダーク・サマー      144
追悼・井田真木子              148
あとがき                  152

 
 
 

スカトロジー・フルーツ

――コノ患者サンハ過去ヲオモイダサナイホウガカエッテシアワセジャナイデスカ。

――いいえ、ほんとはあたしを欺すためにあれを書いたのでした。みんな嘘です。小説です。

――ひとは犯罪を働くときにはうやうやしく正装すべきだ。これは作家の意見である。

毒想日記

八月一日

 くらくらと眩暈がしました。あなたがくれた本を読んで。私を『聖少女』の未紀のようだと、あなたはおっしゃりたいのね。獅子のように誇り高く、硝子のように脆く危うげで、白亜のように軟らかく、季節をまちがえて咲いた薔薇みたいに独善的な美を湛えた、まるで存在自体が優雅に犯罪的な、選ばれし少女なのだと。あなたの視線は、片思いの盗視者としてご指名を受け、翻弄されつづけた青年Kのものかしら。いいえ、そんなわけがない。あなたはパパよ。未紀を虜にして血を流させたパパ。「いま、血を流しているところなのよ、パパ。なぜ、だれのために? パパのために、そしてパパをあいしたためにです。もちろん。」ウイ、パパ! ウイ、パパ!! あなたが微笑んでる顔が、ここからでも見えるようだわ。

毒想日記

毒想日記

八月三日

 眩暈がして、全身に寒気をおぼえました。あなたに渡された本を試しに読んでみたのよ。私を『聖少女』の未紀のように、あなたは仕立てあげたいのね。ファム・ファタル。運命の女。聖なる娼婦。奔放なアルベルチーヌ。逃げ去る女。まるで男の欲望を掻き立てるためにしつらえられたような精巧な幻影。それは、どこにも存在しない女。あなたが熱に冒された青年Kの瞳で「君はまるで未紀だ」という時、階級を侵犯して許されざる恋に走る貧民のように、私を女王の椅子に据えようとする。あなたがパパの包容力を滲ませながら「君はまるで未紀だ」という時、高額の対価を支払って手に入れた装飾品が分厚い手のなかでひび割れる瞬間を待ち望んでいるような、倒錯した愉しみを見出している。ファム・ファタル。私という存在をいかにも褒め称えているかのようで、その実、あなたの言っていることは……。「ドウシタラ彼女ヲ所有スルコトガデキルダロウ?」。そんな煩悶は、所有者になることができる者の余裕がなせる厭味な反語ではないのかしら。あなたはいやらしい人。あなたが無知なるほくそ笑みを貼りつけている顔が、ここからでも見えるようだわ。

八月二日

 眩暈がして、背筋にぴりぴりと緊張が走りました。あなたがくれた本を読んで。私を『聖少女』の未紀のようだ、むしろ私には未紀になる素質があるとあなたはおっしゃりたいのね。誇り高く、脆く危うげで、軟らかく、独善的な美を湛え、あなたを振り回してやまないファム・ファタルとしての少女に。あなたは悶えたくてたまらない。「ドウシタラ彼女ヲ所有スルコトガデキルダロウ?」。あなたに追いかけられて私は「変幻自在な女神」のように、あなたの視線を釘づけにしながら優雅に逃げつづける。あなたの視線は青年Kのものかしら。いいえ、あなたはパパよ。いえいえ、そのどちらもかもしれない。あなたは青年Kのように心を乱されるふりをしながら、同時に、パパみたく鷹揚に構えたまま未紀の狂おしさを掌で転がすことを望んでいるにちがいないわ。これはあなたと私の甘美なゲームということよね。なんて欲深い人。あなたがニヤついている顔が、ここからでも見えるようだわ。

スカトロジー・フルーツ

 
 

 

毒想日記

スカトロジー・フルーツ

 
 

 

「マドモアゼルOの物語」などを忍ばせて、夜になれば喫茶店モンクでサド侯爵の大悪書をひろげているというではありませんか。制服の下には、まるで教師を嘲笑うかのようにフランス製のスリップやブラジャーを身に着け、さらにこう嘆くのです。「どうしてあたしはトリコットの黒いストッキングや白いソックスや鈍重な通学靴をやめて、シームレスのストッキングや素足にサンダルや高いヒールの赤い靴をはくことができないのでしょうか」。未紀の身の周りは、なんと完璧にペダンティックな耽美に装われているのでしょう。まるで自分は王家の種族だといわんばかりに。気位高き未紀のエレガンスは、攻撃的で排他的です。「ときに田舎者やおめでたいアヴェックさんが迷い込んできても匆々に退散せずにはいられない空気を店にみたすこと」。……私は溜息を漏らさずにはいられませんでした。感心してではありません。さながらアレルギーを起こすように、私のなかの何かが拒絶しているのです。きっと、未紀のようなどこかしら古典的なファム・ファタルの存在を信じ込むことができずにいるから。そして、それを私に投影することをやめないあなたの欲望を疑っています。あなたはどのようなつもりでこの小説を私に読ませたのでしょう。

八月四日

 吐き気がこみあげました。あなたが私にこの本を渡したとき、「未紀は本当に素晴らしいよ」と言った。真っ直ぐに私の目を見据え、口元には余裕の笑みを浮かべて。私はあなたとの恋愛における指南書を授けられたのだと思い込み、「私は未紀だ」と言い聞かせて読みました。それがあなたと過ごすための資格なのだと思ったから。あなたがそう暗示したから。未紀は、この主人公の女子高生は、途方もない女でした。すべてが媚態で、それも読んでいるこちらが鼻白んでしまうほど極端な媚態でできているではありませんか。未紀の部屋は象徴的だわ。「大男が優に二人は寝られるものものしいベッド」は一人で横たわりながら、交わるべき誰かの侵入を挑発しながら待ち受けるもの。その脇には半裸のキリストが磔になった中世の殉難画を飾り、ダリやキリコが部屋全体を彩っている。未紀が内装をほどこした喫茶店モンクだってそう。ブリューゲル、ヒーエロニムス・ボス、バルテュス、死神や魔女のイメージが溢れ、血、悪、酒が交配し、傍らを天使や少女がしのびやかに歩いているような、黒い退廃美を部屋に充満させています。通学鞄には「美徳の不幸」「ビリディスの歌」

私が田舎出身の凡庸な女だと、誰よりも知っているあなたではありませんか。それでも、私に未紀の真似をしてほしいのですか。私に陳腐な偽物になれと? それとも私を未紀のような高級品に育て上げることがあなたの愉悦なのでしょうか。私は未紀に憧れません。たとえあなたが未紀の姿を追い続けようとも。あなたが呆けてだらしなく笑っている顔が、ここからでも見えるようです。

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毒想日記

八月五日

 殺意をおぼえました。あなたに渡された本を読みながら、これまでのあなたとのこと、思い出したのです。やっぱりあなたは私を未紀のような、デリケートな美術品に教育したかったようですね。私がキタナイ言葉を使うと、あなたはひどく顔をしかめました。私が高校生の時分には、男女問わず「○○っす」というふうに、語尾に「っす」をつけることなんてざらだったのに、しかもそれは体育会系の人々への憧憬ではなく、友人間でフランクさをあらわす符丁だったにも関わらず、あなたは「女性は「っす」を言った途端に安っぽくなる」と嫌がった。語尾をみだりに伸ばすのも絵文字を多用するのも、「バカっぽいからやめなさい」と。そのくせ私が「バカだ」「クソだ」「糞尿テロだ」などと言おうものなら、「愚かだ」「ひとでなしね」「私の黒髪で絞め殺してやりたいわ」と即座に正し、「もっと悪徳に秀でた甘美な言い方を心がけるべきだ」と私を諭した。歌い方だってそう。リディア・ランチみたいに喚くのもダメ、ジャニス・ジョップリンみたいに叫んでも貧乏臭いからいけないと、パティ・ウォーターズみたいな啼き方は意味不明だと、

 
 
 

スカトロジー・フルーツ

あなたが夜な夜な、お金を払うことで「誰か」の口を、あなたの汚辱にまみれた液体で塞いでいるということを。美術品のように愛されていた私は、あなたが敵であることを、落雷のように一瞬で理解しました。「誰か」に嫉妬したからではありません。「あなたに愛されている次元の高い私」として「低級の誰か」を軽蔑したわけでもありません。だって、あなたが「君はしなくていい」と言う以上、私と「誰か」は代替可能なのですから。たまたま私の方が「上級」でいられただけのこと。いわば私は「誰か」で、「誰か」は私。ちょっとした歯車が違っていれば、今頃は私が金を支払われ、あなたの膝元にかしずかなければならなかったかもしれない。こんな想像をめぐらせるのは馬鹿げていると、あなたは言いますか? そんなことはお構いもなく、「誰か」に屈辱的なおこないを強いながら「君はそんなことをしなくてもいい」と私に言い続ける? 「誰か」と私を分断することで守られているあなたの甘い生活って、一体何なのでしょう。私はあなたを軽蔑します。そして一瞬でも有頂天になった私を、本当に愚かだと思います。

デス声で「ふざけんじゃねぇ、ばか」と呟いた日にはあなたは聞かなかったことにしていた。ああ、方言なんてもっての他だった。「あなた」のことを間違えて「あが」と呼ぼうものなら、あなたは侮蔑の表情をひた隠しにして眉間に皺を寄せ、悲しそうな顔をしていたたまれなさを誤魔化していた。なんとなく気恥ずかしくなった私が詫びると、「君は堂々としていればいいんだよ」と、あなたは調子を取り戻して私を讃えはじめたわ。「君は」ね。そう、あの日もあなたは「君は」と言った。磔刑のキリストが寝そべるかたちになったあなたの、その下腹部を暗黙のうちにまさぐり、はだけた布を押し開いて私が口にふくんだとき。あなたはこう言った。「君はそんなことをしなくていい」。大切な君にはそんな不浄なおこないをさせるわけにはいかない、と。その言葉は私を柔らかいヴェールで包んでくれた。嬉しかった。私はなんて大事にされているのだろうと。汚れた液体なんかで決して辱めてはいけない高級な美術品のように愛されているのだと思った。でも、一瞬ののちに私は蒼ざめたわ。「君は」しなくていい。では誰になら、あなたの思うその不浄なおこないをさせていいと言うのでしょう? 私でなく誰なら? まもなく私は知ることとなりました。

毒想日記